中学校3年生の娘との会話について書きます。どこの家でも同じだと思いますが、年頃の娘は父親を煙たがるものだと思います。(え?うちだけ?そんなことはないでしょ!)いつの頃からかわかりませんが、娘から避けられるようになり、買い物やカフェなどに妻とでかけるときに、パパも行く!って言うと絶対イヤだと断られてしまいます。それだけではなく、何気ない会話もあまりしてくれないというか、避けられてる感が半端ないです。この前私立高校の受験があったので、「どうだった?うまくいった?・・・、ダメだったのか?」と聞いたら、「そういう無神経な聞き方するヤツに答えたくないに決まってるだろ!頑張ってる人に向かって、ダメだったのか?なんて聞くなんてありえないだろ!」とかなり本気できれられてしまいました。父親として心配だし、それぐらい聞く権利あるだろ!とこっちも怒り返したところ、「怒ったのは悪かった、だけど言い方は気をつけてよ!」と言って、めずらしく素直になったのでホッとしました。その後、これまで会話に加えてもらえなかったので受験について話すこともなかったけれど、妻から聞いていた受験校について、私の意見を伝え、娘も素直に自分の意見をぶつけてくれました。その流れで、今の学校の先生は大変だけど、子供の人生に大きな影響を与える立場なのだから頑張ってほしいし、それこそ大谷翔平は大袈裟だけど、大企業の社長なみの給料もらってもいいので、先生は飛びぬけてすぐれた人格者であって欲しいとか、義務教育の過程で出来のいい子から出来の悪い子まで幅広い人がいる中で過ごす時間は大事だとか、教育論みたいな堅苦しい話なのに、娘もしっかり自分の意見を言ってくれて、結構長いこと(30分以上話したような?)娘と1対1で話をして、「ああ、ちゃんと人として成長してるんだなー」ととても嬉しくなりました。そして会話の終盤で娘の方から、「子供にとっての時間の価値と大人になってからの時間の価値は違うんだから、もっと長いこと自由に遊べたらいいのに」っていう発言があり、私も心の底からその通りだと思ったので、「確かに時間の価値は全然違うし、お金の価値も全然違うね。だから〇〇(子供の名前)の言っていることは正しい」と言って、娘との会話は終わりました。その後、妻と娘がいるときに、「いいこと考えついた。成人年齢引き下げとかあったけど、むしろ成人になるのは30歳ぐらいにして、働き始めるのもそれからでいい世の中になるといいと思わん?」と言ってみました。妻から「ただでさえ少子化で税収に苦労してるのに、税金どうすんの?」と予想通りの突っ込みがきたので、「年寄がもっと働けばいいし、年寄りは生きがいを見つけるためにも好んで働くから、喜んで働いて健康維持にもなって、平均寿命もうなぎのぼりに伸びていくと思うよ。」と言い返しました。こんな他愛もない会話がとても嬉しくて、だからどうしようなんて結論も不要ですが、一つの社会の在り方として30歳成人案もまんざら悪くないと自己満足しています。でも、自分で反論するとすると、30歳まで働かなくていいと言っても、優秀な子ほど価値ある時間を有効に活用して、年寄りの何倍もの金銭価値を生み出しちゃうから、結局うまくいかないんだろうな?とも思ってしまいますね。そう考えると、どんなにいい塩梅で線を引いて制度を作ったとしても、すべての人が納得するのは難しいので、結局のところ、なるがままに任せるのが一番いいのかな?とこれを書きながら、また考え方が変わってきました。まあそれでも、やってみてだめだったら、またやり直せばいいじゃん!っていう楽観主義の性格でもあるので、自分が決断することに対しては楽観主義でいたいと思いました。