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紙一重

せっかくブログを書くようになったので、たまにはレンタルスペースと関係ないことも書こうかなと思いました。会社への出勤途中の電車で何気なく考えていて、影響力のある人ってすごいし、うらやましいし、そんな人生を送れたら幸せだろうな―、自分もそうなりたいなーと考えていました。でも絶対無理だし・・・と思いつつも、だけどそんな極端にすごい人にならなくたって、一握りの人にいい影響を与えられて、それを自分の中で満足できればそれで十分でしょ、っていいように解釈しようとする自分がいました。もちろん私は自分自身を満足できるなんてほど遠いのですが、私のサラリーマン生活の中で、部下や後輩たちに「知っているか知らないかは小さな差。知らなければ知ればいいだけ。大切なのは本質を見抜くこと。」と偉そうに言っていたことを思い出しました。また違う場面では「(サラリーマンの仕事の範囲では)人間の能力の差なんてたかがしれていて、個々の人に合った能力を引き出せるかどうかが重要。」なんてことも言っていました。そこそこの規模の会社だから言えることなのかもしれませんが、周りを見てもそんなに能力の差は感じませんでした。そんなことを考えながら、すごい人といっても、そうなれたのも紙一重なんじゃないのかなーと自分の都合のいい解釈をしようとしていました。すごい人でも人生のピークを迎える前にどん底を経験していたり、一歩間違ったらどうなっていたか分からなかった部分もあったんじゃないかな?そういう意味では自分は何も目立つことはないけど、どん底を経験することもなく幸運に恵まれてきたと思いました。過去にはギャンブルにちょっとだけハマって、お小遣いにしてはそこそこの金額をつぎ込んだなーというのはあるにせよ、大きな借金を背負うこともなく、人生破滅させる前にギャンブルから離れるようになったのも単に運がよかっただけだと思います。だから、すごい人も自分のように華がない人生も紙一重だねと思い、そこからアニメの鬼滅の刃を思い出し、人間が鬼になってしまうのも紙一重だってことで自分は好きで見てるんだーと気づきました。鬼滅の刃は去年のテレビ放送から見るようになって、妻にも娘にも時代遅れだと馬鹿にされながらも映画も見に行きました。いつもながら話がまとまりないですが、宗教に頼っていても戦争が絶えないのも人間ならではの紙一重の世界と妄想が転がって行きました。宗教と言うと日本では拒絶反応を示す人が多いので断っておきますが、私は宗教にハマっていません。こんな妄想をする中で、日本人って無宗教って言うけど、ほどよく神頼みもするし、初詣に行ったりもするしで、宗教にどっぷりハマることなく、紙一重のいいバランスを保っていると思いました。さらに妄想は違う方向に行き、自分の運がいいのはきっと守護霊が守ってくれてるんだ、とそこそこ真面目に考えることが過去にもありました。宗教でも霊でも何でもいいですが、人としてこうありたいと思う心(善の心と言うのでしょうか?)は誰もが持って生まれてくるのだと思いますが、それでも紙一重で悪の方向に向かいそうになる人や、悪の中に少し入り込んでしまった人を、救ってあげられる人間になりたいなーと思いました。うーん、小学生の感想文みたいですよね。。つれづれなるままに書いてみました。

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