人生の転換点と思われる出来事って、人によっていろいろあると思いますが、私の場合は大病を患ったときが一番印象に残っています。今回、レンタルスペースのビジネスを始める第一歩を踏み出したきっかけとなったのも、大病が関係しているように思います。昨年5月のゴールデンウェーク明けに、くも膜下出血で手術を受けました。幸いにも自分で病院に行けるような状態だったことと、動脈瘤の場所がカテーテルでの手術が可能な場所だったため本当に幸運でした。開頭手術にならなかったため、術後の回復も早く、1か月程で後遺症もなく退院できました。またしても(後ほど1回目の大病についても触れますが)命を救われたと思うと、残りの人生も大事に生きなさいと使命を与えられた気がして、もっと挑戦をしてできることならもっと社会に貢献できることを探し続けなければいけないのではないかと考えました。これまではボーっと時間を過ごす毎日でしたが、何でもいいから刺激を求めようという気持ちが出てきて、映画を見たり、ミュージカルを見たり、子供の頃に隠れファンだったさだまさしのコンサートに行ったり、感情が動かされるものを無意識に求めていました。そんな中で第一歩を踏み出したことは前に書き綴ったとおりです。(アーカイブをご覧ください。)
くも膜下出血が人生初の大病なのかというと、これが2回目で、1回目は高校1年の1月頃に患った盲腸(虫垂炎)でした。たかが盲腸と思われるかもしれませんが、盲腸を4日間我慢したことで盲腸が破裂して腹膜炎をおこし、さらに腸閉塞まで併発してしまいました。我慢しつつも学校へ行き、部活動(バドミントン部)に行こうと友達に誘われ、行こうとしたけど前かがみになっていないと耐えられないし、さすがに部活は休んだことをよく覚えています。夜も自分では寝てるつもりだけど、姉が一睡もできずにずっとうなされてたぞと言うので、4日目にしてようやく病院に行きました。(本当は1日目で町医者に行ったけど、風邪でしょうねと言われて帰ってきました。)結局、診察してもらったら一刻を争うので緊急手術をすると告げられました。無事手術は成功したと思いましたが、腸閉塞の状態が良くないらしく、2回目の手術をして、3回目の手術も必要になりそうだと言われていた中で奇跡的に快方に向かいました。結局1か月半ほど入院しました。一応当時は進学校と呼ばれる部類の高校だったので、勉強の遅れが気になったからなのか?これも奇跡的にその後の学校の成績は桁違いに良くなりました。北斗の拳のケンシロウのように死の淵を乗り越えて強くなったのかもしれません。このときも退院した直後は、奇跡的に救われた命なのだから、日々感謝して(しばらくするとそういう気持ちは薄れていきましたが・・・)後悔しないように一生懸命生きないといけないなと、何と言うかとても透き通った気持ちだったような気がします。
すみません、1回目の大病はレンタルスペースとは何も関係ないですね。これを書きながら思ったのですが、今が3回目の人生なんだなという気がします。ドラマに出てくるようなタイムリープというわけではなく、心を入れ替えて過去を一旦リセットして新たな道を歩いていく、いい転換点なんだなと思います。